まちあるき~姫路城外堀巡り編~

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恒例となった姫路市職員仲間とのまちあるき。今回は姫路城の外堀に沿って歩きました。

1945年の姫路大空襲で、姫路市の市街地は焼け野原となったのですが、奇跡的に、姫路城だけほぼ無傷で残りました。

そのため姫路城の城下町は、現在も江戸時代の道や堀の名残が見られるところが多くあります。

案内くださった職員さんが、現況の市街地図に江戸時代の絵図を重ねた地図を持参くださり、その地図を見ながら当時の光景を思い浮かべてブラブラ。

「姫路駅の目の前まで外堀があったんだ。」

「この通りは堀そのものだったんだね。」

「当時の人は、堀を土塁で埋めたのかな。」

そんな話をする時間がとても贅沢で、日本史は決して得意でなかった私にとっても大変興味深い時間でした。

 

重ね合わせた地図を見ると、「北条口」「京口」「竹之門」などの地名は内町と外町の間にあった「門」の名称に由来していることがわかり、改めて、姫路城の偉大さと、城下町としての歴史を誇りに感じました。

また、西国街道の東の玄関口であり、多くの人が出入りしたであろう「外京口門」付近には、奈良時代は播磨国府が置かれていたと推定されています。

この場所は、現在の「国府寺町」にあたり、12年前、市職員となり最初に配属された住民窓口センターで、姫路市の地名をなかなか覚えられず、【「国府寺町」を「こおでらまち」と読むことに注意する】と記憶したことを懐かしく思い出しました。

当時は、こんなふうに城下町の勉強をすることになろうとは思いませんでしたが、巡り巡って、何事も役に立つものだなぁと思いました。

ご一緒くださった皆さま、有意義な時間をありがとうございました。

途中の寄り道も含め楽しかったです!

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